「佐藤二朗って、どこの大学出身なんだろう?」「あの独特な存在感はどんな経歴から生まれたの?」——そう気になって検索した方も多いのではないでしょうか。
現在は個性派俳優として圧倒的な知名度を誇る佐藤二朗ですが、その道のりは決して順風満帆ではありませんでした。信州大学経済学部への進学、就活25連敗、リクルート入社式当日の退社、二度の養成所不合格、広告代理店勤務――。実は“遠回り”の連続だった20代を経て、31歳でようやくプロ俳優として本格デビューを果たしています。
この記事では、佐藤二朗の小学校から大学までの学歴をはじめ、学生時代のエピソード、リクルート初日退社の真相、俳優として成功するまでの苦悩と転機を、本人インタビューや公的情報をもとに詳しく整理しました。
佐藤二朗の学歴プロフィール一覧
まず結論から。佐藤二朗の最終学歴は信州大学経済学部(長野県松本市)です。
| 学校 | 校名 | 所在地 | 入学年(推定) | 卒業年(推定) |
|---|---|---|---|---|
| 小学校 | 東郷町立東郷小学校(1~2年生)、その後東郷町立高嶺小学校(3~6年生) | 愛知県愛知郡東郷町 | 1976年 | 1982年 |
| 中学校 | 東郷町立東郷中学校 | 愛知県愛知郡東郷町 | 1982年 | 1985年 |
| 高等学校 | 愛知県立東郷高等学校 | 愛知県愛知郡東郷町 | 1985年 | 1988年 |
| 大学 | 信州大学 経済学部 | 長野県松本市旭3丁目1−1 | 1988年 | 1992年 |
生年月日:1969年5月7日 / 出身地:愛知県春日井市生まれ、愛知郡東郷町育ち / 身長:181cm
信州大学経済学部とはどんな大学か
信州大学は長野県内に複数のキャンパスを持つ国立大学です。佐藤二朗が在学していた当時の経済学部は松本市キャンパスに設置されており、現在は「経法学部」に改組されています。当時の偏差値は53とされており、地方国立大学として中堅に位置づけられます。
佐藤二朗本人は信州大学への進学理由について次のように述べています。
「正直なところ、受験して合格したからというのが本音」
出典: あの人の学生時代。#24:佐藤二朗「大学生の今こそウジウジせよ」 – マイナビ学生の窓口
また経済学部を選んだ理由として「他の大学の経済学部では2年で勉強することを、3年かけてゆっくり学べるカリキュラムだったところが唯一ひかれた点」とも語っています。消極的な理由で選んだ大学でしたが、松本での4年間は後に「第二の故郷」と呼ぶほど深い縁となりました。
大学時代の佐藤二朗——バイト三昧と俳優への夢
大学時代の佐藤二朗は、勉強よりもアルバイト中心の生活を送っていました。
最も印象的なのが、松本市の浅間温泉にある旅館での4年間にわたるアルバイトです。フロントマンとして接客業務・駐車場誘導に従事し、テレアポなどの営業系アルバイトも経験。「話す仕事・人と向き合う仕事」に早くから慣れ親しんでいました。本人は後年、浅間温泉での経験をマイナビのインタビューで詳しく語っており、「温泉街は流れ者が多い」「なんで運転しないかの理由は怖くて聞けなかった」などの貴重なエピソードを公開しています。
俳優への思いは大学入学時から持っており、大学1年生のときに劇団「山脈(やまなみ)」のガイダンスを受けに行ったものの、「厳しそうだ」と感じて入団を断念しています。
就職活動では「東京で芝居もやりたい」という思いから、テレビ局や広告代理店などマスコミ系企業を中心に受験。面接で「土日は芝居をやりたい」と正直に話していたこともあり、25件連続で面接試験に失敗しました。
大学卒業後のリクルート入社式と「初日退社」
就活25連敗を経て、佐藤二朗はリクルート(現・リクルートホールディングス)への内定を獲得します。しかし、入社式の当日に人生の転機となる出来事が起きます。
1992年春、日本武道館で行われた盛大な入社式に出席した佐藤は、その場の雰囲気のなかで「これで本当に役者の道を諦めるんだ」という感情がこみ上げてきます。
入社式終了後、佐藤は社章を返却し退社を申し出ます。人事部の幹部からは、入社日と退社日が同じ日になったことが初めてであることを告げられたとされています。
退社後、佐藤は実家へ帰郷。後年、このリクルート入社式での退社について「人生の汚点」「今でも恥ずかしい話」と表現しており、当時の心境の揺らぎがいかに大きかったかが伝わります。
「暗黒の20代」——二度の養成所不合格と広告代理店勤務
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 1992年 | 信州大学経済学部卒業。リクルートに入社、入社式当日に退社 |
| 1992〜1993年頃 | 学習塾講師のアルバイトで資金を貯める |
| 約1年後 | 文学座俳優養成所に入所 |
| 約1年後 | 文学座の入団試験に不合格 |
| その後 | 渡辺えり子主宰の劇団関連養成所「無人塾」に入所 |
| 無人塾在籍中 | 卒業公演で主役に抜擢されるも、1年で退団 |
| 約26歳頃 | 小規模広告代理店の営業職に就職 |
| 1996年 | 演劇ユニット「ちからわざ」を旗揚げ。全公演に作・出演 |
| 約28歳頃 | 劇団「自転車キンクリート」(鈴木裕美主宰)に入団 |
| 入団後 | 広告代理店を退職し、俳優活動に専念 |
| 約31歳 | フロム・ファーストプロダクションに所属。プロ俳優として本格始動 |
二度の養成所挑戦でいずれも不合格となり、一度は役者の夢を断念した佐藤ですが、当時の心境を次のように語っています。
「胸の底の底に『役者になりたい』という火種があった。営業職での成功も、その火を消そうとしていた」
出典: 「消えない火が、自分の核だった」佐藤二朗が二度も挫折して就職した20代の本音を語る – 新R25
転機——「ちからわざ」旗揚げから劇団入団、31歳でプロ俳優へ
広告代理店で営業職を務めながらも夢を諦めきれなかった佐藤二朗は、1996年に演劇ユニット「ちからわざ」を旗揚げします。
旧知の仲間に声をかけて立ち上げたこのユニットで、全公演の作・出演を担当。28歳のとき劇団「自転車キンクリート」の舞台公演を観た演出家・堤幸彦にスカウトされ、入団。これを機に広告代理店を退職し、俳優活動に専念します。
その後、劇団「自転車キンクリート」の舞台公演を観た映画監督・堤幸彦が、テレビドラマ『ブラック・ジャックII』への出演を依頼。ワンシーンのみの「医者A」という役でしたが、主演の本木雅弘の事務所社長がその映像を見て興味を持ち、佐藤にアプローチ。こうして31歳でフロム・ファーストプロダクションへの所属が決定し、プロ俳優としての本格的なキャリアが始まりました。
まとめ:佐藤二朗の学歴と経歴が示すもの
- 出身大学:信州大学 経済学部(長野県松本市)
- 大学時代:浅間温泉の旅館でフロントアルバイト4年間。松本を「第二の故郷」と呼ぶほど愛着
- 卒業後の衝撃:就活25連敗→リクルート内定→入社式当日に退社
- 20代の試練:文学座不合格→無人塾退団→広告代理店で営業職→夢を諦めきれず退職
- 転機:1996年「ちからわざ」旗揚げ、28歳で「自転車キンクリート」入団、31歳でプロ俳優デビュー
「受験して合格したから」という消極的な理由で選んだ信州大学から、入社式当日の退社、二度の養成所不合格、広告代理店での回り道——。それでも夢の火種を消さなかった佐藤二朗は、31歳という決して早くないタイミングでプロの道を掴みました。今日スクリーンで見せる独特の存在感は、この「回り道だらけの20代」なしには生まれなかったといえるでしょう。
参考文献

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